「自分の価値を認めてもらわなければならない、なぜなら、自分には価値がないから」という前提

こんにちは、ひろです。

僕は、無意識に「すごい自分、できる自分」であろうとする行動をしてしまうことがあります。

これは、僕のパターンです。

このパターンの根底にあるのは、「自分の価値を認めてもらわなければならない、なぜなら、自分には価値がないから」です。

記憶に残っているのは、高校時代の吹奏楽部に在籍していた時のこと。

同学年に、いろいろなことを難なく「できる」男子がいて頼りにされていて、彼の周りにはいろんな人が集まっていました。

そんな彼を見ながら、「うらやましい」と思う自分がいました。

そして、彼と自分を比較して

「自分の元に人が集まってくるには、自分が『できる』存在ではなくてはいけない」とも思ってもいました。

もともと、僕は小さい時から自分には「できる」ことがほとんどない、と思って成長してきていました。

だから、少しでも何か「できる」ことがあると、それを「できるよ」とアピールしたくなる行動が出てきやすくなったのかな、って思います。

今回、なぜ、自分がこの記事を書こうと思ったかというと、「本来の自分とのズレ」を大きく感じるようになったからです。

「すごい自分、できる自分」であろうとすることは、無意識でやってしまうものとはいえ、自分を苦しめるものであることは、以前から分かっていました。
自分のレベルから掛け離れたハードルの高いものに取り組もうともして、疲弊してしまっていましたから。

でも、この弊害って、もっと大きかったことに気づいたんです。

それは、どういうことかというと、「相手に自分に対する期待を抱かせて、実際に自分が期待通りに動けなかった時は、相手を幻滅させてしまうこと。そして、相手を幻滅させることは、すなわち、自分には価値がない」というループに自分を陥れことに繋がってしまうからです。

本当は、もっといろいろできる自分でいたい。

でも、一方で、本当は、全然できない自分がいる。

大切なのは、本来の自分で生きること、なのに。

本来の自分で生きるためには、「ほんとできない、僕にはできない。」、まずそこを受け入れることが大切で、その床に立つことが現在地だったんじゃないか、と。(プラスでもマイナスでもないゼロの地点という意味で)

自分が「大したことのない自分」だったら、「大したことのない自分」で生きて、そこから少しずつ積み上げていく方が自然。

なのに、必要な段階をすっ飛ばしてしまうから、それが自分を必要以上に苦しめてしまうんではないか、と。

こうしたことは、自分では見えにくい部分で、今回も周りの人からの自分へのフィードバックがあったから気づいたものです。

これを機に、このブログのタイトル通り、僕自身もより「自分と繋がる」行動にしていくことにします。

この記事が、みなさんにとって何らかの参考になれば幸いです。

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