僕のなかでの「意識」と「体感覚」の葛藤から得られたこと

僕のなかでの「意識」と「体感覚」の葛藤から得られたこと

最終更新日 2024年8月15日 by 斉藤宏明

自分のなかの話だから、すごくわかりにくいかもしれないですけど。

「(自分から)出そう」とする時ほど、出さずに留まることが大切。

この場合の「出そう」は、自分から自動的に出てきてしまう衝動性。言葉や行動。

でも、その「出そう」という意識は、実際は、自分の意識としてはとても認知しにくくて、

それを拾うには、僕の場合は、自分の「体感覚」が必要でした。

イメージとしては、

カラダの中に、自分の「魂」と、それを載せる「台座」があるとして、

僕のカラダは、これまで、その台座がしっかりしていなくて、魂がグラグラしてる、と思っていました。
(思考レベルでは気づいていなかった)

で、

他の人に、その状態が見られるのが嫌だったんだな、と。

でも、実際は、

台座がしっかりしていなくてもいいし、魂がしっかりと乗っていなくても、それで良かったんだ、と。

では、なぜ、「出そう」としてしまうのか。

それは、自分の中にある、ぐらついたものを周りから見られることにとても不安があったから。
(不安というより、恐怖かな。)

「出そう」とすれば、その間は、そのぐらつきを人に見られないで済むから。

でも、違うんですよね。

「出そう」としたら、逆に、そのぐらつきが顕著に現れます。

顕著に現れるから、顕在意識では、それを余計に隠そうとする。

それが自分で自分のカラダを制御しにくくなる根本の原因だったんです。

実は、ずっとこれまでかなり悩んでいました。笑

では、これからどうすればいいか。

「出そう」とするんじゃなくて、自分から自然に「出てくるまで待つ」。

自然に「出てくるまで待つ」間は、周りから自分のぐらつきを見られてしまうかもしれないけど、それでいいんです。

逆にそのぐらつきのほうを自然に見せてしまうイメージが大切で、

口から何かポロっと出てきたら、自然体でそれが伝わる。

それで、良いんだと。

はー、これに気づくのに、何年かかったんでしょう!

まだ、ブレはあるだろうけど、積年の課題が解決しました!

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