ひろの自己紹介(更新日2025/9/20)


ここの自己紹介は、このサイトに訪れてくださった方に「僕のことを知ってもらいたい」という気持ちで書いています。

そして同時に、僕自身が僕のことをもっと明確にしたい気持ちもあって。

だから、僕の中で何かが変化しているタイミングでは、都度書き換えることがあるかもしれません。

今は、書き溜め中だから、更新頻度多めかも・・・

僕の一端を知ってもらえれば、幸いです。

思いつきで書いているので、時系列はバラバラなところもあります。ご了承くださいませ!

生まれ育った環境

東京都荒川区出身。

父は高校の英語の先生で、母は専業主婦。その間に生まれた、ひとりっ子。

江戸っ子というよりは、下町っ子

近所の幼馴染の家が工場を営んでいて、小さい頃は、よく、その幼馴染と共に、そのお父さんの運転する軽トラに乗せてもらって、取引先の工場との往復を楽しんでいました。

そして、小学校帰りには、近所には駄菓子屋さんがあったので、そこによく通っていて、お店の人には、「しろちゃん」と呼ばれていていました。

色が白かったせいか、「しろちゃん」。「ひろちゃん」ではなくて・・・

知的好奇心や探究心

不思議なものが好き

小さいときから不思議なモノが好き。

古代文明へのあこがれ

特に好きだったのが、エジプトのピラミッドや、イースター島のモアイ、ナスカの地上絵などです。

小学校の放課後の時間、自分一人しかいない図書室で、たまたま見つけた「手のある神殿の話」という本を食い入るように読み、「古代文明って面白そう!」と思ったものでした。

また、当時購読していた学研(?)の教材に載っていた「ロゼッタストーン」についての話にも興味・関心が強かったです。

その話の中で、シャンポリオンという人がヒエログリフ(神聖文字)を解読したことを知り、僕も「そういう人になりたい!」と思い、語学をたくさん勉強しました。
(※ヒエログリフは、リンク先にあるように不思議な形をした文字です。)

こんな世界があったら面白い!

僕は、映画やマンガ・アニメなどでも、不思議なものや未知のものを探求していく、そんなストーリーが好きです。

天空の城ラピュタ

スタジオジブリの作品として有名な「天空の城ラピュタ」では、主人公パズーは、シータが持っていた「飛行石」がキッカケで、ラピュタが存在することを確信するわけです。

飛行石があれば、人を空に浮かべるだけでなく、ラピュタのある方角を知れて、ラピュタの科学力を使うこともできる、さらに、大きい飛行石ならラピュタの城だって浮かばせられるわけです。

シータが発する言葉で、何かの変化が起こる。

神秘的だし、面白くないですか?

HUNTER X HUNTER(ハンターハンター)

ハンターが使う「念」もそうだし、グリードアイランド編で出てくるカード(そのなかでも「大天使の息吹」とか「リスキーダイス」とか)、実際に存在したら面白いだろうな、って思うんです。

また、五大災厄「人飼いのバブ」「植物兵器ブリオン」「双尾の蛇ヘルベル」「ガス生命体アイ」「不死の病ゾバエ病」が存在するような暗黒大陸編も・・・

僕から見たら「そんなところ絶対に行きたくないよ!笑」と思えるような場所ではあるけど、「未知」を探求するという意味ではとても興味深い!

そこにはどんな世界が広がっているんだろう、って想像したら、見てみたい!!って思うんです。

大学時代のハッとさせられるような出来事

大学時代に、僕の人生に刺激を与えるような、ハッとさせられるような出来事が2つありました。

社会人学生さんとの出会い

1つ目は、大学3年生のときに、社会人入試で入ってきた方と同じフランス語の授業を受けたこと。

座席が僕の近くだったのもあり、周りにいる他の学生よりも大人びていて、とっても綺麗な人だったから、気になって僕から話しかけてみたの。

「どうしてフランス語の授業を受けているんですか?」って。
自由選択のフランス語だから、本来は受ける必要が無いんだよね。だから質問したのもあった。

そしたら返ってきた答えは何だったと思う?

「私は、国連の職員になりたいから。」って。

僕にとっては、背筋がピンとするほど、ビックリした言葉!

この人は、身近な世界だけでなく、僕が見ている世界よりも、大きな世界を見ている!

かっこいい!!ってなったんです。

土井香苗さんについての新聞記事

社会人学生の人に出会ったのと近い時期に、朝日新聞に最年少で司法試験に合格した土井香苗さんについての記事が掲載されていたんです。

アフリカのエリトリアという新しくできたばかりの国に、法律支援に行くという話。

海外にボランティアでいくというとき、当時の僕の想定では「井戸掘り」とかそういうものしか思い浮かんだことがなくて。

でも、この人は「法律支援」で、新しい国に行く、って、なんかすごい!って。

この人に一度でいいから、会ってみたい!!!って。

記事を見ると、NGO「ピースボート」の文字。

ピースボートとの出会い

この2つの出来事って、僕にとってはとてもインパクトが大きかった。

だから、大学を卒業して、社会人になった後、やっぱり世界に出てみたいし、土井さんにも会ってみたい!という気持ちが強くなって、ピースボートの事務局に行ってみた。

その頃になると、土井さんはピースボートにはいなかったけど、事務局にいたスタッフに惹かれて、乗船することに!(当時、入ったばかりの会社が倒産寸前だったという好機!)

ピースボートの話

ピースボート乗船前の数ヶ月

乗船前、ピースボートの事務局では当時「水曜会議」というのをやっていて、その会議ではピースボートスタッフだけでなく、初めてボランティアスタッフ(略称、ボラスタ)の人たちも参加していた。

会議の中で「○○したい人!」って、誰かが何かの募集を掛けると、「はい!」っ手を挙げる人が何人もいて、その姿にカルチャーショック!!

なぜなら、僕は、いろいろなことに対して「やりたくない。」って思うタチだったから。

そして、僕はそのときまで、そういう環境にいたことが多かったから、だと思う。

少しずつ、少しずつだけど、自分に変化が訪れ始めたキッカケの出来事でした。

ピースボート出航日

出航日が2001年9月9日。

8月31日まで会社で仕事をしていて、会社での身の周りの人間関係は比較的良好だったのね。

だから、出航日、船に乗って、これから出航ってときに、職場に電話をかけて同僚だった人たちに「これから行ってきます!」ってご挨拶。

「行ってらっしゃい!」って電話の中で送ってくれた。

ピースボート乗船中

僕にとっては、船内も寄港地もとても刺激的で、特に、船内で初めてできた友人たちが行動的でアクティブ。

船内には、バーやプールがあって、友人たちが自主企画という名のもとにいろんなイベントを開催。

当時の僕は、まだまだ硬くて(笑)、自分から何かのイベントを主催することなんてできなかった。

だけど、周りからの刺激って、少しずつ、自分に変化をもたらしてくれるんですよね。

この体験がなかったら、今の自分はいない、そう思える体験でした。

できない、だからこそ、学ぶ・練習する

小さいときから運動神経も鈍ければ、手先も不器用

まぁ、持って生まれた遺伝だったり性質の影響も大きかったりして、ある程度限界はある。

とはいえ、「できない、だからこそ学ぶ、練習する」ということはやってきたように思います。

周りの人たちとの差を埋めたかった。

それにはどうしたらいいか。

それは、周りから学ぶしかなくて・・・

教えてくれる人が言ったとおりにやってみる。

そうすると、少しずつできる。

取り組むモノ・コトにもよるけど、基本、素直だから、自分にあったモノ・コトなら、練習の積み重ねで、稀に周りよりもできるようになるものも、少し出てきました。

文章を書くのが好き?

今でこそ、こうやって文章を書くのが好きになったけれど、小学校、中学時代、一番苦手だったのが作文を書く時間。

1時間とか2時間とか授業の時間があったけど、一言も書けない。

冒頭の言葉すら書くことができなくて、毎回、必ず家に持って帰って宿題にしてました。

(ホントに毎回です!)

Z会の通信添削に助けられた文章力

これに変化が起こったキッカケが、大学受験の時、国立大学を目指していて、あまりに国語ができなくて、Z会の通信添削を受けて、論述の仕方を練習して学べたこと

具体的に何を学べたかというと、「書き始めること」、そして、「『何が』、『何を』、『どういう理由で』」など、相手に伝えるためには、どんな情報が必要なのか、を知れたこと。

自分が書こうとしていることが合ってるか間違ってるかなんて、書かなければ、点数にもならないわけです。

でも、僕は、最初から「しっかりした文章」を書こうとしてフリーズしていた。

Z会で、書いた文章を添削してもらうことで、自分の文章に「何が」足りないのかが明確になり、必要な情報を盛り込めるようになったのです。

Z会さん、その節は大変お世話になりました!

マイクロソフトで学ばせてもらった、文章での寄り添い力

その後、何年も経って、派遣社員としてマイクロソフト(MS)さんにITの技術サポートの仕事で入りました。

日本のIT技術において、「最後の砦」とも例えられそうな職場。

法人の技術部門からの問い合わせについて、技術的な回答を主にメールでやり取りする仕事。

自分の書いた回答をお客様に送付する前に、MSの社員さんから日々添削を受ける毎日。

赤字で修正箇所を示され、時には、「書き直しました」とコメントが付けられる状況でした。

でも、このなかで学んだのは、技術的な内容を分かりやすく伝えるだけでなく、お客様に徹底して寄り添うことの大切さ。

お客様は顔が見えない。

だからこそ、お問い合わせいただいた内容から、どんなことに困っているのかを、今置かれているお客様の状況を想像しながら、文面を作る。

この作業は、自分の内面を深めるのにも役立ちましたし、文章を書くスキルの飛躍につながりました。

それ以来、文章を書くことが好きになった気がします。

占いとの出会い

本格的に「占い」に取り組み始めたのは2023年。

きっかけは、「がくちょう」が主宰していた「ファーストペンギン村(今は存在しない)」というオンラインサロンのなかに、占い師さんが何人もいたこと。

それまで僕は心理学をメインで扱っていたのだけど、僕にとって心理学は、自分が楽しさを感じにくいツールだったのです。

でも、そういった占い師さんたちとの出会いを通して、互いにタロットで占い合ったりするうちに、占いに楽しさを覚え、占いへと興味・関心が動いていきました。

それに、心理学とかカウンセリングとかという言葉よりも、ずっとクライアントさんが興味を持ってくれやすそうでしょ?

ちなみに、こうやってブログを書くようになったのも、数秘術やタロット、西洋占星術を利用して自分の心が喜ぶこと、得意なこと、自然にやれてしまうことを理解したからなんです。

そして、占い師になった!

これまで「占い」には興味・関心あったし、自分なりに数秘術やタロットを勉強してきたけれど、「占い師」になろうとまでは思っていなかった。

いくつかの出来事が重なったのと、ホント不思議な思いつきで、2025年8月下旬に、ChatGPTで自分に合う占いの館がないかを探して、自分にしっくりきそうな占い館「老上海」を見つけました。

早速電話で応募して1週間後に面接、即採用されました。

トントン拍子で話が進んだのはとても久しぶり。

ここから「占い師」として正式に名乗るようになりました。週1回だけの仕事だけど・・・

今後の夢

まだ明確にはなっていないけれど、何か本を書いて出版したいのです。

目指すは、石井ゆかりさんのような文章を書ける人。

人間って、自分の持っている輪郭(性格や性質、行動の傾向)について、自分で分かっているようで、よく分からなかったりしませんか?

でも、ふとした瞬間、自分の輪郭を、より明確に捉えたような言葉が自分の心に届いたとき、ほっとした安心感が出て、肩の力が抜けて、未来に少し希望が持てるような気がするのではないでしょうか。

そんな言葉を、僕はいろいろな人に届けたいんです。

心理学、数秘術、タロット、占星術などは、洗練された言葉の宝庫。

こういった言葉の手段を通して、少しでも人々が未来に希望が持てるような世界を創っていきたいと思っています。